④あずまかるたを歩く 「真政の渡しも今は南部大橋」 前橋と川との歴史に触れる散歩道

利根川両岸の行き来は橋を渡れば簡単にできますが、橋が架かる以前、船が重要な役割を果たしてきました。その一つがあずまかるた「さ」の札にうたわれた真政(実正、さねまさ)の渡し。 現在の前橋市小相木町と南町をつないでいました。南部大橋の南にあり、歴史を伝える小さな石碑を訪ねました。

「真政の渡しも今は南部大橋」

県道前橋長瀞線沿いにある石窯パンの店「f・Dijon」の近くに、東地区自治会連合会と歴史散歩の会が建てた案内の碑があります。

ここらから300㍍ほど東に行ったところにあるのが、真政の渡しの碑。住宅地を抜け、利根川のサイクリングロードに突き当たったところを左に行きます。初めての人にはわかりづらいのですが、目印になるのが誠心館佐京弓道場。その北東脇に高さ数十センチほどの小さな碑があります。

県道前橋長瀞線沿いの案内の碑
案内の碑から300㍍ほど行くと利根川サイクリングロードにぶつかります。
真政の渡しの碑

歴史をさかのぼると、この辺りは東山道(あずま道)が通っていました。交通の要衝であり、江戸時代には関所が置かれました。渡しや関所があり、人が集まる場所だったからなのでしょうか。弓道場の敷地の中には現在は使われていませんが、井戸があります。以前、訪ねた時に見せてもらいました。下がその時の写真です。

真政の渡しの近くにある井戸の跡(2018年8月撮影)

明治になると、橋建設に向けた動きが出てきます。

前橋市史によると、明治3年に船を並べた船橋が設けられました。明治12年には、社会事業に尽力した宮内文作らが発起人となり、長さ170間(約300㍍)の「就安橋」が完成。開通式には両岸に多くの人が集まったといいます。それだけ注目度が高かったのでしょう。しかし、翌年秋には出水により流出してしました。

前橋の歴史は利根川との戦いの歴史。 前橋学センター長の手島仁さんは「利根川は前橋発展の最大の阻害要因だった」と指摘します。

市史によると、 明治18年、初代利根橋が架けられました。明治22年には両毛鉄道の利根川鉄橋が竣工。利根橋と並んで架けられ、「利根の双橋」と呼ばれる名所になりました。老朽化により、利根橋は明治28年に架けかけられますが、翌年7月の洪水により落橋してしまいます。明治34年に頑丈な鉄橋が完成しました。

真政の渡しがあった場所の近くに、南部大橋が完成したのは昭和53年です。小相木町と南町が橋でつながり、自由に行き来できるようになり、生活の利便性向上と経済の発展に寄与しています。

船で利根川を行き来するというのは、今となっては信じられない気がしますが、南部大橋より下流、前橋市公田町と高崎市萩原町をつないだ「公田の渡し」は昭和47年に昭和大橋ができるまで利用されました。

真政の渡しの碑を訪ねると、南部大橋と利根川が同時に見えます。前橋と川との歴史を感じる散策に出掛けてみてはどうでしょうか。

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