⑧あずまかるたを歩く「垢石は随筆名人 釣り名人」前橋市上新田町

あずまかるたには、前橋東地区の名所だけでなく、ゆかりの人物が紹介されています。その一人が鮎釣り名人として知られた随筆家の佐藤垢石(さとう・こうせき)。酒を愛し、「たぬき汁」を代表作に80冊以上の著作を残しました。出身地である前橋市上新田町の雷電神社に建てられた石碑を訪ねました。

「垢石は随筆名人 釣り名人」

雷電神社の本堂
本堂の東側にある神楽殿

似顔絵入りの石碑

堂近くに、垢石をたたえるため、地元の人たちが2001年に建てた石碑がありました。似顔絵が描かれていて、その風貌からも、お酒が好きだったことが伝わってきます。石碑には波乱万丈の経歴が書かれていました。

佐藤垢石をたたえる石碑

垢石(本名亀吉)は明治二十一年六月十八日、父孝次郎 母ケイの長男として上新田町に生まれた。前橋中学(現前橋高校)へ入学したが、四年生の時校長排斥のストライキで中退。転じて東京都文館中学を経て早稲田大学英文科に学ぶ。生来文筆の才能に秀で、報知新聞記者として豊橋、小田原、水戸支局で活躍したが、昭和三年前橋支局長を最後に三十九歳で退社した。

その後、文筆業に専念し、晩年まで著書八十余冊を数えた。中でも昭和十六年に出版した「たぬき汁」は、山河の情景と人情の機微を綴り江湖の絶賛を得たため、「文部省推薦図書」になり時のベストセラーになった。又昭和二十年春には上新田に疎開し、上毛新聞に「愛郷風土記」を連載し、郷土の紹介に努めた。

元来多趣味で特に「鮎の友釣り」を愛好し、国内はもとより朝鮮中国大陸まで魚影を追い続けた。戦後再度上京し自ら社長となって雑誌「つり人」を創刊した。一方食味に精通し、特に酒は斗酒なお辞せず「酒仙」の誉が高かった。

この間、政治評論家御手洗辰雄、将棋の木村義雄名人、作家の井伏鱒二、落語の古今亭しんしょうのほか、菅原通済、麻生豊、藤原義江、松井翠声等の一流知識人と交遊、ラヂオ番組の「話の泉」や「二十の扉」に出演し、名声を博した。

昭和二十八年秋病魔に侵され東大病院へ入院、小康を得たが、遂に脳血栓を引き起こし、昭和三十一年七月四日浦和市に於いて六十九年にわたる波乱万丈の生涯を閉じた。

平成五年、前橋市は「文学館」を建設するに当たり、朔太郎、垢石以下八人の郷土出身文学者の業績を顕彰するため、館内に常設展示場を設置し、永くその栄誉を称えることになった。

「たぬき汁」と「つり人」

自由奔放な人生。優れた文才。 随筆もさることながら、釣りの世界では伝説的な人物として知られ、「釣りジャーナリスト」としての顔も持ちました。食にも通じ、ジャンルを問わない多彩な文化人でした。

石碑には随筆「たぬき汁」と「つり人」の文章も刻まれています。幼少の頃、夜中雑木林から「ヒョウヒョウ」と鳴きながら自宅に近づいてくる狸が怖かったこと、利根川で2時間も釣りをすると若鮎の背の色でかごの中が真っ黒になったこと…。滋味あふれる視覚的な文章が印象的です。

 

垢石が眠る場所

雷電神社から南西に500メートル弱離れた場所に、末風山・福徳寺(前橋市上新田町)があります。門前には「佐藤垢石の墓」と書かれた碑が立っており、肩書きは「随筆家」と「釣り人」。ここに垢石は眠っています。

福徳寺
福徳寺の門近くに建てられた碑。左が佐藤垢石の墓があることを伝えています。

境内には、雷電神社と同じように略歴が書かれた石碑があり、表面には福徳寺をモデルとした垢石の文章が載っていました。今度、じっくり本を読んでみようと思います。

 

雷電神社 

 

福徳寺

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