「神様と一緒に踊る」 上新田町雷電神社 太々神楽保存会が4月8日の本番へ白熱練習

戦時中も途切れることなく約130年間受け継がれている雷電神社(前橋市上新田町)の太々神楽が4月8日、春季例大祭で奉納されます。地元住民でつくる太々神楽保存会(倉林靖明会長)は本番に向け稽古の真っ最中。熱の入った練習会場を訪ねました。


練習会場となっている雷電神社神楽殿の横にある小さな建物

古事記の神話、20演目

真っ暗な境内。ただ一つ、煌々と光が漏れる小さな小屋から、和楽が漏れてきます。中に入ると「どん、どん」というライブ会場さながらの、迫力ある和太鼓の低音が響き、繰り返される笛の旋律に合わせて、踊り手がゆっくりと舞っています。「座るのが早いよ」「もっと一歩一歩を大きく」。ほとんど私語はなく、おかしいところがあれば注意し合う。淡々と、真剣に練習は進んでいきます。

踊り手は音に、演奏者は踊りに合わせて、自分の役割を果たしていきます。
真剣な表情で練習を見つめる倉林会長(左から2人目)
踊りを覚えるメンバー

16人が所属する保存会は今年は2月から週2回、3月22日以降は日曜を除いて毎日午後7時半から9時まで練習しています。

踊りや演奏について、教本があるわけではありません。技を見て覚えたり、直接教わったりしながら受け継がれてきました。何気ない所作のように見えて、それぞれに独特な動きがあり、覚えるのは難しい。こうした伝統の作法は一度途絶えてしまうと、正しく伝えられなくなってしまうものだと感じました。

娯楽としての側面も

例大祭の日は午前10時頃から神主の祈祷があり、午前11時から神楽を上演、午後5時すぎまで古事記の神話を中心とした全20演目を上演します。 神様へ捧げる神楽ですが、娯楽としての側面があり、コミカルな要素も。演目ごとに変えるお面の中には、ひょっとこのような、見ているだけで吹き出してしまうようなものもありました。

収納箱の中にあるたくさんお面。演目ごとに異なるお面をかぶります。
笑いを誘うひょっとこ。

戦時中、高崎からも見学者

上新田町の神楽は、総社神社(前橋市元総社町)から伝わり、明治23年に始まりました。85歳で現役の中林稔夫さんは二十歳のころから担い手として取り組んできました。

「戦前は高崎からも大勢の人が足を運び、今より多くの人が見に来ました。雷電神社にお参りすると、豊蚕になるといわれ、たくさんの女の人たちがお祭りの日も、また、その後の日にもお参りにきました」。ただ、戦時中は若い人が出兵していったため、15人ほどいた神楽の演者も7、8人にまで減少した頃もあったといいます。

高齢化と担い手不足

それでも、地元の人たちの手により一年も絶やすことなく、神楽は続けられました。ですが、多くの郷土芸能がそうであるように、上新田でも高齢化と担い手不足が課題になっています。メンバーの年齢は50代が最も若く、上は80代。若い人は入ってきません。技術を伝承していくために、踊りの様子をビデオ撮影したり、楽譜を書き出したりと、絶やさぬ努力をしています。

現在も伝統を受け継ぐ貴重な団体として、市外からも出演の依頼があります。玉村八幡宮もその一つで、今年も4月3日に奉納の舞を捧げてきました。地元では敬老会や文化祭に出演したり、高齢者施設での慰問したりしています。

祭りが地域をつくる

練習が終わると、最後は全員で丸くなって座り、お茶を飲みながらおしゃべりの時間。和やかな笑い声に包まれました。

その中で、祭りによって地域がまとまっているという話になりました。保存会のメンバーは16人ですが、祭りには準備を含め、幅広い世代のたくさんの人が関わる。祭りが地域の人たちをつなぐ核になっているように思いました。昨年入会したという男性は「伝統を守らなくてはと思ったんですよ」といいます。最後に倉林会長に神楽をやっていて楽しいですかと尋ねました。「楽しいですよ。神様と一緒に踊る。いや、神様になったような気持ちになるんだ」。

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