高度経済成長期、前橋市でも住宅団地の造成が盛んに行われ、新しい町が生まれました。今回は誕生から半世紀、東地区の「光が丘町」を紹介します。
昭和41年1月4日に誕生
町の区域は、もともと小相木町、上新田町、箱田町に属していました。今は解散してしまいましたが、県と前橋市でつくる前橋工業団地造成組合の区画整理事業として田を開発し、住宅団地が造られました。
昭和40年から入居が始まり、昭和41年1月4日付で正式に「前橋市光が丘町」が行政区として誕生します。
町発足30年を祝って平成7年に地元自治会によって作られた記念誌「光が丘町30年のあゆみ」によると、140の分譲区画に対し、505人の申し込みがあり、抽選で当選者を決めたとあります。昭和42年末までに、およそ9割の入居が完了しました。
町民のコミュニティーもつくられていきます。町の誕生から半年後の昭和41年6月に自治会が発会。昭和47年には住民要望に基づき公民館が建設されました。町の誕生から10年が経過した昭和51年8月、自治会主催の夏祭りが初めて開かれます。
東中学校や県立保育大学校
いろいろな施設もできていきます。昭和42年4月に東中学校の校舎が完成。11月には紅雲町から県立保育大学校(当時は県立保母学院、現在は閉校)が移転してきました。そのほか日赤群馬県支部も建てられます。
人口の推移を見ていくと、昭和42年(10月1日現在)の704人から右肩上がりに増加し、昭和56年にはピークの1230人に。その後、減少に転じ、今年8月末現在713人となっています。
昭和60年には20周年を記念し、自治会が光が丘第二公園に石碑(写真上・下)を建てました。碑の裏側には、町の成り立ちとともに、「ここに町民の総意に基づき、永遠に明るく心温かい町づくりを祈念してこの碑を建立します」と刻まれています。
20周年記念のくすの木、順調に生長
もう一つの20周年記念として、光が丘第一公園に、くすの木が植樹されました。それから33年が経過。木を見に行くと、大きく成長しており、歳月の流れを感じました。木の下では近所の人たちが和気あいあいとグランドゴルフを楽しむ姿がありました。