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利根川に父との優しい思い出 明治生まれの釣りジャーナリスト佐藤垢石をたどる

群馬県、特に前橋は明治時代から昭和時代にかけて多くの文人・作家を輩出しています。萩原朔太郎や山村暮鳥、伊東信吉、萩原恭次郎など、詩人が特に多く見受けられます。ここ、東地区からも全国的に名を馳せた文人が出ています。自身の趣味である釣りを題材とした随筆集『たぬき汁』を著し、雑誌「つり人」の編集など、「釣りジャーナリスト」として活躍した佐藤垢石(さとう・こうせき 1888~1956)です。
垢石の随筆には、彼の故郷である上新田町と利根川の流れが繰り返し登場します。その風景は現在でも面影を残しており、私たちは往時を偲ぶことができます。垢石の作品とともに、利根川を追いかけてみました。(M)

五月の利根河原に陽炎揺れる

『父の俤』(1938)
「朝の飯を食べると、私はちょこちょこと父の後をしたがった。前橋から下流一里ばかりの上新田の利根河原へ行ったのである。」
「五月の真昼は、何とすがすがしい柔らかい風が吹くことであろう。小石原から立つ陽炎がゆらゆらと揺れる。砂原の杉菜の葉末に宿った露に、日光が光った。」「このほど故郷の村へ帰って、崖の上から昔の河原を望んだが、流れを遮る鬼岩は、その頃と変わらぬ安山岩の荒い肌を、激流の面へ現わして、白い飛沫を空に撒いていた。/河原の青い玉石も、松の黒い葉も、杉葉の浅緑も、幾十年の彩を晩春のなかへ漂わせていた。」

写真の利根川は、2020年の初夏の頃です。生活する上で普段はあまり意識していませんが、垢石の書くように、利根川の岸は両側とも崖が切り立っており、人々の生活する土地は川よりも一段高い位置にあります。

父と二人、雷電神社下で若鮎釣り

『母の匂い』(1938)
「やはり、五月はじめのある朝、父と二人で、村の河原の雷電神社下の釣り場へ若鮎釣りを志して行った。父と私が釣り場へ行く時には、いつも養蚕に使う桑籠用の大笊を携えるのであった。あまり数多くの若鮎が釣れるので、小さな魚籠ではすぐ一杯になってしまい、物の役にたたなかったのである。」

前橋市を貫く利根川は、源流の赤城山から降りてくる若鮎がよく取れた様子が窺えます。また、雷電神社下から利根川へ降りる道も、少し草木が茂っていますが、今でもしっかりと存在しています。垢石が父と下ったのもこの道だったのでしょうか。

利根川を遡る薄紅のはや

『楢の若葉』(1938)
「はやは、利根川の雪代水を下流から上流へ上流へと遡ってきた。はやという魚は、おいしいとほめるほどでもないが、産卵期が近づくと、にわかに活動が盛んになってきて、頭から横腹、尾の端まで紅殻を刷いたように薄紅の彩が浮かび、美装を誇るかに似て麗艶となるのである。そして腹の小粒の卵に、ある一種の風味を求めて、私の村の人々は毎年春になると、遠く下総国の方から遡ってくるはやを、飛沫をあげて流れる利根川へ釣りに行った。/その朝まだ薄暗いうちから、私ら父子も田んぼの畔まで母に送られて家を出て、利根川の崖下まで行ったのである。」

ここで登場する「はや」という魚は、特定の種を指すのではなく、コイ科の淡水魚の総称だそうです。利根川沿いに暮らしていた人々は、日常的に川魚を獲って、食していたようです。

「私は、利根川の崖の坂路を登りながら、はるばると奥山の残雪を眺めた。そして、ぽつぽつと、父の跡を踏んで歩いた。/雑木林へ差しかかった時、父は、『これをごらん』/こう言って私に、楢の枝を指した。何のことであろうと思って私は、父の指す楢の小枝へ眼をやったのである。楢の枝には、澁皮が綻びたばかりの若芽が、わずかに薄緑の若葉をのぞかせていた。」
垢石の書く利根川は、いつも父との思い出の中にあります。その優しい記憶は、100年前のこの地の人々の生活を、私たちに想像させます。

前橋市上新田町に佐藤垢石の碑や墓

雷電神社の境内には、佐藤垢石の碑もありました。
また、新田小学校横の福徳寺に垢石の墓もあります。

佐藤垢石の随筆の多くは、オンライン上で公開されています。今回取り上げた作品も、著作権の切れた作品を公開しているサイト・青空文庫(
作家別作品リスト:佐藤 垢石 )に収録されており、いつでも読むことができます。
垢石の随筆を片手に、垢石の足跡を追いながらサイクリングロードをなぞっていくと、新たな景色や思いが見つかりそうです。

 

 

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