多くの人がお気に入りの散歩コースを持っていると思いますが、前橋東地区の人たちがよく利用するのが滝川両岸に整備された歩行者や自転車向けの道路。箱田町方面から下流に向かって進んでいくと、急激に川が曲がります。この辺りが「川曲町」。曲がった川の流れが地名になったと伝えられています。
郷土のあずまかるたには「滝川の曲がるところが川曲町」と詠まれています。ストレートで分かりやすいですね。
七つの橋
滝川沿いを箱田町方面から南下して行くと、川曲町に入った辺りから、橋が多く架かっています。川上から下の橋、北川曲橋、太鼓橋、川曲新橋、川曲橋、中川曲橋、そして、高崎市との境界にある三ツ谷橋を含めて合計七つありました。特に太鼓橋、川曲新橋、川曲橋は100㍍ほどの狭い間に集積しています。
川が大きく曲がるのは川曲橋の辺りから。橋の上から川下に視線を向けても、左に折れていて川の流れの行方を見ることができません。一つ下流の中川曲橋の上から望むと、今度は対照的に一直線に流れが伸びています。
群馬郡東村誌とともに、地域の歴史を知るのに役に立つ「あずま・てくてく」という本があります。公民館報に連載された記事をまとめたもので、古くから地域に伝わる歴史も紹介されています。
滝川と昔の人たちの暮らしぶりが伝わる記述がありましたので、抜粋します。
「昔は川で野菜を洗い、馬の汗を流し、子どもたちは水浴びし、東小学校から頭にかばんを乗せ泳いで帰って来た子もいたという話を聞きました」「水車がまわり米つきをしていた家もありました。水が無くなった川から砂を採り道普請(道づくり)をしました」。
学校帰りの子どもが泳いで帰ってきたというのは今では信じられませんが、昔の子どものたくましさが伝わってきます。
滝川は榛名山麓から流れる八幡川と利根川から取水する天狗岩用水が合流する地点より下流域になります。あずまかるたの解説によると、たびたび洪水被害があり、特に平成9年9月の集中号被害は甚大で、その後、大改修工事が行われました。今はコンクリートで両岸が整備されていすが、昔の人たちは水害被害と向き合いながら、共存してきました。
他県にも「福島県郡山市田村町川曲」や「山口県周南市川曲」など、「川曲」の地名はあります。どれも川の形状が地名の由来になったのでしょうか。
滝川の曲がる様子を見ながら、地名に思いを馳せ、散歩を楽しんでみてはどうでしょうか。