自分の住んでいる地域の歴史って、知らないことが多いですよね。
幹線道路沿いに立っている解説板をもとに、今回は前橋市東地区の「箱田古市前遺跡(はこだふるいちまえいせき)」について紹介します。
古墳時代から中世・近世までの地域の歴史を知る上で貴重な遺跡だそうで、昔から人々がこの土地で生活を営んできたことをあらためて知り、ちょっと元気が出てきました。
古墳時代から中世・近世までの地域の歴史
解説板があるのは、南部環状線沿いにある「南部滝川橋」南側。
ドコモショップ新前橋店や東公民館が近くにあります。
発掘調査は、平成4年度の滝川河川改修工事に伴い、群馬県埋蔵文化財調査事業団が行いました。
30年近く前の調査であり、写っているこの辺りの写真も今よりずっと住宅が少なくて随分昔の感じがします。
約2500メートルにわたり調査した結果、注目すべきは、古墳時代後期の水田跡と、平安・江戸時代のものと考えられる二つの大きな溝。
以下、解説板を引用します。
古墳時代の水田跡は、6世紀初め頃に噴火したとされる榛名山の火山灰に覆われて発見されました。水田を区画する畦は見つかっていませんが、土の科学分析を行ったところ稲が栽培されていたことが証明されました。
平安時代の溝は、右側の写真の中央に見えるものです。幅が2.7m、深さが1.2mほどの規模で、今回の調査では、85mほどが見つかっています。
用水堀と考えられる江戸時代の溝は、幅が4m、深さが1.3mほどもある大規模なもので、平安時代の溝と西側から交差するように見つかりました。
この調査の意義としては、どのようなことがいえるのでしょうか。
次のように解説しています。
この地域は従来総社藩(前橋市総社町)の藩主秋元長朝が江戸時代の初め(慶長9年、西暦1609年)に天狗岩用水を開削して後、水田耕作などが発展したと考えられていましたが、今回の発掘調査によって実際には水田耕作が少なくとも古墳時代までさかのぼることが証明されました。また、平安時代から現在の河川改修工事に匹敵するような大規模な水路が造られていたこともわかりました。
教科書で学ぶ歴史と違って、地元の歴史は親近感がありますね。
冒頭にも書きましたが、はるか昔から、人々がこの地域で連綿と暮らしてきたことを知ると、自分たちも励まされるような気になります。
というわけで、明日もがんばっていきましょう。