歴史

渋沢栄一と前橋の関係が意外に深い 2月14日スタート「晴天を衝く」に群馬は出るか楽しみ

いよいよ2月14日スタートするNHK大河ドラマ「青天を衝け」は日本の実業界の礎を築いた渋沢栄一が主人公。群馬は渋沢ともゆかりが深く、楽しみにしている群馬県民は多いのではないでしょうか。2024年度上期に新紙幣の肖像になることが決まっており、注目度は高まるばかりですね。

高崎城乗っ取りを計画、富岡製糸場建設に尽力

渋沢は伊勢崎市と隣接する深谷市血洗島の生まれ。若いときは尊皇攘夷思想をもち、幕府支配に反発して高崎城乗っ取りを計画したり、維新後は国の役人として富岡製糸場建設に大きな役割を果たすなど、群馬との関係は深い。今回は渋沢栄一と前橋とのつながりを紹介します。

JR前橋駅北口

記事を書くのに参考したたのが、渋沢栄一記念財団(東京都北区)のホームページ。デジタル化された伝記資料が充実しています。

まず最初に紹介するのは、群馬と栃木をつなぐ両毛線。現在JR東日本が運行していますが、明治時代、この路線をつくったのは「両毛鉄道株式会社」という民間企業でした。

民間ということもあって国の許可を取るのが難航し、渋沢の援助で浅野財閥を築いた浅野総一郎を発起人に加え、事業化にたどりつきました。この経緯はホームページに掲載されている「青淵先生六十年史」に載っています。

渋沢の尽力で明治22(1889)年、前橋ー小山間が開通しました。両毛鉄道株式会社は明治30(1897)年に日本鉄道に合併されました。その日本鉄道も1906年、国営化されました。

財団ホームページによれば、渋沢が設立したり、関与したりした企業は500社。関係した社会・公共事業は600とされています

今も多くの人が通学通勤で利用する両毛線のように、渋沢の功績は現代の生活にも深く影響を及ぼしていることが分かります。

夕日に染まる臨江閣

臨江閣に宿泊、桂首相と食事

渋沢は生前、全国各地に足を運びました。

財団ホームページによると、明治43(1910)年10月4日に前橋を訪れ、商工会議所の集まりで講演し、臨江閣に宿泊しました。翌日は当時の桂太郎首相と臨江閣で食事をしています。

また、大正6(1917)年1月6日には「上毛孤児院」の創設者の一人で、社会事業家・金子尚雄の祝賀会に参加し、講演したとあります。

上毛孤児院は社会福祉法人「上毛愛隣社」の前身で、現在も児童養護施設や老人福祉施設、保育園などを運営しています。

このほか、渋沢は群馬銀行のルーツの一つとなった三十九銀行(前橋市)も支援しました。

「武蔵国というより、もはや上州に近い」

群馬だけでなく、日本全国に足跡を残しました。

作家・城山三郎は「雄気堂々」という長編小説で、渋沢栄一の生涯を描きました。

渋沢の出生地について次のように記しています。

「雄気堂々より引用」

関東平野のふところ深く、ところどころ木立があるだけの広々とした山村で、遠く赤城、榛名、妙義の山々や、晴れた日には浅間や日光の男体山も見渡せる。武蔵国というより、もはや上州に近い感じで、秋から冬にかけては、名物のからっ風もつよい

高崎城乗っ取りを断念する場面は前半のクライマックスになっています。

原作は違いますが、大河ドラマ「青天を衝け」でも群馬が出てくるのではないかと期待しています。

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