地域交通のハブとなっている新前橋駅。
高崎に行くにも、北毛、東毛地域に行くのにもとても便利ですね。
この駅があるのが、昭和57年5月に誕生した「新前橋町」(前橋市)です。
平成11年にできた「青葉町」に次いで、東地区では新しい町になります。
駅とともに歩んだ地域の歴史
町誕生の経緯は、郷土の歴史をまとめた冊子「あずまてくてく」に載っていますので、以下引用させてもらいます。
昭和五十三年と五十七年の二回にわたる区画整理事業を経て、五十七年五月文字通り新しい町としてスタートしたのが新前橋町。
一区から三区まであった古市町のうち、滝川から石倉町までの二区と呼ばれた地域と、滝川から新前橋駅周辺までの三区が古市町から分離し誕生しました。
どうして町名が「新前橋町」になったかと言えば、当然、新前橋駅があったからでしょう。
駅ができたのは大正10年(1921年)です。
当時、群馬郡東村でありながら、駅名を「新前橋駅」としたのも興味深いですが、それはさておき新前橋町の誕生は、駅建設から約60年後。
駅名がそのまま町名にあった形です。
地域は駅とともに歩んできました。
駅があったおかげで周辺は宅地開発が進み、人口が急増しました。
前出した冊子の古市町(古市村)の記述には、次のように説明されています。
明治十六年の戸数はわずか七十五戸で人口は三百十二人。それが昭和二十九年(前橋市との合併時)にはなんと戸数四百六十八戸、人口は二千五百人となっていて、旧東村の中でも古市の人口急増ぶりが際だっています。
そうした歴史の中で区画整理事業が行われ、古市町から分離して新しい町が誕生しました。
かつては石油タンカーがあった
新前橋町には、かつてシェル石油の石油タンカーがありました。
(当時の様子は次の記事で紹介しています)
現在は、多くの福祉団体が拠点とする「群馬県社会福祉総合センター」が立っています。
いまは石油タンカーの面影は一切ありませんが、時の流れとともに地域は姿を変えていきました。
新前橋町は2年後、40周年を迎えます。
今、新型コロナウイルスの影響で、飲食店をはじめ、大変な状況にあろうと思いますが、町の節目を祝うようなイベントが盛大に開けたらいいですね。