前橋市上新田町ゆかりの随筆家・佐藤垢石(さとう・こうせき)が亡くなって、今年7月で70年を迎えます。垢石が戦後間もない昭和21年(1946年)に創刊した月刊「つり人」は、今年で創刊80年目。日本代表する釣り雑誌として現在も変わらず発行され続けています。
新聞記者から随筆家へ
明治21年(1888年)、同町の農家に生まれた垢石は、前橋中学校(現・県立前橋高校)で校長排斥のストライキを主導して退学となり、早稲田大学を中退後、報知新聞の記者の道へ進みました。
大正15年には前橋支局長を務め、昭和3年(1928年)に退職。随筆「たぬき汁」で第一回日本出版文化賞を受賞するなど、食や自然をテーマにした文筆で知られ、生涯で60冊余りを世に出しました。
戦後の混乱期に創刊した「つり人」
なかでも垢石が晩年に情熱を注いだのが、釣り専門誌の創刊です。
終戦からわずか1年後の昭和21年(1946年)7月、物資も印刷もままならぬ時代に月刊「つり人」の創刊号を送り出しました。
当時の創刊号はB5判72頁の薄い作りでしたが、藤田嗣治や川端龍子が表紙絵を手がけ、井伏鱒二ら名だたる文人が寄稿した、文化的に充実した一冊でした。垢石が書いた「創刊之詞(ことば)」には「釣するために釣らうではないか。静かに、虚心の姿で竿を握らう」とつづられており、この言葉は現在も毎号の巻末に変わらず掲載されています。また、釣り人としても知られた垢石は、作家・井伏鱒二に釣りを教えた師匠格でもありました。
昭和31年(1956年)7月4日、68歳で生涯を閉じた垢石。しかし彼の創刊した「つり人」は今年で創刊80年目を迎え、今も月刊誌として発行され続けています。東地区・上新田の農家に生まれた一人の文人が、戦後の混乱の中に打ち立てた雑誌が、これほど長く釣り人たちの手に届き続けているとは、驚きです。
没後70年の節目に、利根川の川岸で笑みを向けながら竿を振った垢石の足跡をたどってみてはいかがでしょうか。

雷電神社
上新田町にある雷電神社境内には垢石の功績を伝える石碑が置かれています。
参考記事
- ダ・ヴィンチWeb:つり人社・代表取締役社長インタビュー(創刊75周年記念) 創刊の経緯や、垢石が記した「創刊之詞」のポリシーについて語られています。
- 美味求真「佐藤垢石|畸人の釣師にして『つり人』の創刊者」 垢石の生涯と文筆活動、および「創刊之詞」全文が詳しく解説されています。
- 株式会社つり人社 会社概要 現在の発行元・つり人社の公式コーポレートサイト。沿革に昭和21年(1946年)7月の創刊とともに、初代として佐藤垢石の名が刻まれています。

