住宅街の水田 町場の「自然」にほっと一息 かつては農村地帯 前橋東地区

上新田に下新田、そして、稲荷新田…。前橋東地区は「田」が関係する町名が多く、農村地域だったことがうかがえます。

前橋学センター長の手島仁さんを取材した際、印象的な話を聞きました。対岸の利根川東に住む手島さんが子どもの頃、東地区の新田の米はうまいと評判だったそうです。このため、地元の野菜と、新田の米とを物々交換したことも。当時の主産業はどの地域も農業でしたが、東地区は優良な米の産地だったのでしょう。

昭和25年11月24日付の上毛新聞は、「難治村見事な農革 群馬郡東村の実例」との見出しで、この地域の「農業改革」を紹介しています。当時、村では田と居住地が離れて分散している場合が多く、非効率なため、田と田を交換して集約化する「交換分合事業」に積極的だという内容。記事によると、村農家へのアンケート調査では、交換により「田と家の往復時間が短縮され、肥料や収穫物の運搬労力が軽減される」「共同作業がしやすい」「用水の節約」「水利関係の紛争を少なくする」といった、メリットを挙げる人が多かったとあります。

東地区が農村地域だったことを示すエピソードを、地元の男性からも聞いたことがあります。大利根住宅団地の分譲が始まった50年ほど前、第一号の住宅を見に行ったそうです。すると何もない平地にぽつんと一軒。周囲に住宅がない田畑を開発したためで、今でも鮮明にその光景を覚えているといいます。

それから半世紀。大利根住宅団地だけでなく、東地区は交通利便性の良さから、人口流入が続き、今も宅地開発が盛んです。今や希少となりつつある水田は、町場の「自然」。風邪に揺れる緑を見ると、ほっと癒されます。少し前は、カエルの合唱がにぎやかでした。稲は成長し、少しずつ稲穂が垂れ下がってきました。収穫が近づいています。

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真っ直ぐに伸びている稲(8月13日撮影)。きょう23日に同じ場所で写した上の写真では、稲穂がだいぶ垂れてきました。

 

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