報道やSNS等でご存じの方も多いと思いますが、
昨年に続き今年も前橋花火大会が中止になりました。
市のホームページによると、新型コロナウイルスの感染拡大や五輪開催期間中を踏まえての対応。
歴史ある花火大会であり、前橋発祥とされている「空中ナイアガラ」など、
楽しみにしていた市民は多いのではないでしょうか。
昭和23年スタート、8年間の中断も
市のホームページによると、前橋花火大会は戦後まもない
昭和23年に「復興祭」として始まりました。
その後、前橋商工祭の一環として行われるようになりました。
広報まえばしが創刊された昭和25年の10月1日号には、「花火に・展示に秋の前橋を彩る」との見出しで、お知らせが記載してあります。
その後、前橋商工祭は前橋まつりに名前が変更されました。
花火大会は七夕まつりの一環として行っていた時期もありました。
広報まえばしには次のような記述があります。
昭和39年7月1日号
前橋のたなばたまつりも昭和26年以来年ごとにさかんになってまいりました。とくにことしは、いつも前橋まつりで行う花火大会を、たなばたまつりに合わせて行い、例年にまし盛大に行われます。
再開を望んだ市民の強い思い
昭和44年から上毛新聞社が中心となり実施しました。
オイルショックなどの影響から昭和49年に中止となり、市民の要望を受け、昭和56年に復活。
当時の広報まえばしはこう記しています。
広報まえばし7月15日号
前橋の花火大会は、昭和四十八年まで毎年実施していましたが、いろいろな都合により八年余り中断していました。
しかし、近ごろ多くの市民のみなさんから〝夏の夜の風物詩・花火大会〟の復活の声が強く生まれてきました。
このため市と商工会議所では、前橋花火大会実施委員会を発足し、準備を進めていましたが、八月十五日(土)、午後七時から九時まで、利根川河畔(前橋工業高校グラウンド西側)で花火大会を開催することになりました。
以後、毎年開かれるようになり、東日本大震災の2011年の中止はありましたが、現在まで続いています。
歴史を振り返ってみると、花火大会は空襲で焼け野原となった前橋の市民が復興の願いを込めて開いたのが始まりでした。
夜空の大輪に希望を託したい思いは、コロナ禍の今こそ強くなっているのかもしれません。
早くコロナが収束し、来年こそは花火大会が開けることを願うばかりです。